さてさて、ブラジル旅行本編行きましょう!
私の今回の旅行は、vol.1でもお話した通り、
いわゆる観光とは違う旅になりました。
そもそもは、フリーライターである和田秀子さん(以前勤めていた会社の同期であり、友人であります)が、
昨年ブラジルで農業をされている横田尚武さんに出会ったのが事の始まりでした。
今年、「ブラジル移民100周年」という言葉をテレビなどで聞いた事はありませんか?
今年は、国の政策として、ブラジルに日本人を移住させた1908年から100周年ということのようです。
そして、日本の戦後には、職もなかった若者たちを救済すべく、
農協の呼びかけでブラジル移住希望者を募り、
集まった若者たちを船に乗せ、ブラジルへ送り、
4年間現地で農業の修行をしたら、独立して畑を持てるという
当時の若者にとって一攫千金の大型プロジェクトで、
このプロジェクトによって日本人がブラジルについてから、
ちょうど100年ということのようです。
※もっと詳しいことは、和田さんの記事を読んで下さい。
横田さんも18歳の時に、そのプロジェクトに参加した方で、
和田さんは彼の話を聞き、感銘を受けたと言っておりました。
そして、和田さんは横田さんやブラジルに移民した人たちの事を取材し始めた訳です。
私は、和田さんに聞くまで、戦後、実際そのようなプロジェクトがあり、
日本人たちが遠いブラジルで頑張っているなんて事はあまり知りませんでした。
ブラジルには日系の人たちが多いというのは、
何となく知っていた程度で、これを聞いたときには驚きました。
当時、戦後、あまり情報のない中で、
地球の裏側ブラジルに住む決心をした日本人がいたというのはすごい事です。
和田さんはその取材を進めて行くうちに、
自分の目で見てみたいと思うようになり、
旅の計画を立てていた所に、私が参加してブラジル旅行が決まったのでした。
私は私で、一度は行ってみたかった南米にいけるチャンスと、
その方々の活動を通して、今、不安視されている”地球の肺”アマゾンを自分の目で見てみたかった、
後はあまり伝わって来ないブラジルについて知りたかったのでした。
さて、渡航の大変さはvol.2でお話しました。
「ブラジルは危険だから気をつけろ!特に空港はヤバいぞ!」という情報にドキドキしながら飛行機から降りてみる。
アメリカの空港より味気ない、サンパウロのグアルーリョス空港。
冬に入ったはずのブラジル、しかし暑い。
湿気はあまりなく、過ごしやすそうだ。
今回の旅で何より感謝したいのは、
横田さんをはじめ、横田さんと同じ志でブラジルであるプロジェクトを進めている仲間の方々が、
空港から出た瞬間から、帰りの出国ギリギリまで、
常にどなたかが交代で一緒にいてくれたことだ。
ブラジルは英語が思ったより全然通じない。
日本よりも通じない。
若い人と話す時も、中学英語を使ってもギリギリ通じるか通じないかって感じだ。
これは予想外だったので、
ポルトガル語が話せて、ブラジルの事を熟知している方々が常に同行してもらえた事、
色々な事に気を配っていただいた事は、
この旅の成功の大きな要因だと、本当に感謝しています。
その私たちの世話をずっとしてくださった方々は大勢いらっしゃいますが、
主に、横田さん、蛸井さん、中沢さんのお三方。
この方々は、そのブラジル移住プロジェクトにおいて、
それぞれに夢をもって移住し、同じ喜び、苦労をされて来た、同志。
今、このお三方はそれぞれ各自の活動をされながらも、
3人で大きな夢をつかもうと頑張っています。
私が驚いたのは、皆さん、70歳前後なのに、若い!そしてタフ!!
その若さの秘訣は、「夢や希望があるから」との事。
目がキラキラ輝いています。